小さな集落だから、昔から、なにかをやろうとするとみんな集まってくれた

内海勝一さん の話

総会はけっこう集まるんですよ

現在の区長の内海粂蔵さんの前に、12年間区長をしていました。 2011年3月の第一日曜に総会をして、粂蔵さんに引き継いだんですが、 その後、一週間もしないうちに東日本大震災。だから、自分の頃と、 今では区長の仕事の内容がずいぶん変わりました。私のときは、 役所に要望をあげて、なにか作ってもらったり、そういうことが中心でした。 月一回、多いときは月二回の役員会をして、年に一回桂島地区島民全員で総会をしたり。 総会はけっこう集まるんですよ。

小さい集落ですから、みんなお互いのこと知っていて

総会以外でも、小さい集落ですから、みんなお互いのこと知っていて、 何かやるっていうとすぐ集まってくれましたね。震災以前は、 小学校のグラウンドを会場に地区対抗の島民運動会をやっていてそれは盛り上がったものでした。 グラウンドを借りるから、学校の先生方にも参加してもらって、お手伝いもしてもらって。 当時の校長先生の提案で、石浜地区とも一緒に行いました。

だいぶ人口は減りました

桂島地区4班、石浜地区2班に別れて、地区対抗でやりましたね。 大玉ころがしとか、玉入れとか、そういう昔ながらの競技から、 海苔養殖に使うすだれをいかにはやくかけられるかを競ったり(笑)。 そうして島民同士の絆を深めていきました。東日本大震災で家を失った家庭の中には、 島に新たに住宅を建てるのではなく、本土に家を移した方も少なくありません。 だいぶ人口は減りました。私も正直、震災直後は少し迷ったくらいです。

若い人に定住して欲しいが、難しさも感じる

若い人に定住して欲しいとは思いますが、私自身、息子に海苔養殖業を継がせるわけではなく、 子供たちはみな本土で生活しています。自分たちも歳をとって、 昔のように働くと体調を崩してしまうくらいに体力も衰えました。難しさも感じます。

島に大学生が来ることは島の活気につながっている

でも、こうやって、震災後、島に大学生が来ることは、 ありがたいと思っています。アドバイスをもらったり、 島のために何度もきてくれて。民宿とかも減ってきて、 お客さんも少なくなってるけど、お客さんを連れてきてくれたり。 島の活気につながっていると思いますね。